2018年 08月 02日
京都大学の昭和の頃。
私が京都大学で学んだのは昭和の時代でした。ですから、今現在の京都大学とは相当に異なる点があるのでしょうが、少し振り返って伝えてみることにしましょう。
私が入学したのは法学部でした。理系希望であったのですが、ちょっとした運命のいたずらで法学部に入学しました。
尤も、どこで授業にでようとも極めて自由であった京都大学でしたから、私は数学ばかりを学んでいました。午前中は法学、午後からは数学、このような生活を送っていました。
ですから私の大学時代の成績表を見れば、とても法学部の学生のものとは見えません。認定された法学部の単位は、卒業するのに必要な最低単位数でしかありません。それでも京都大学法学部卒業です。
信じられないことでしょうが。
私の時代の法学部では、受講科目の登録制はありませんでした。時間割が掲示されてあって、自由に授業に参加できるのです。従って出席は取られません。出席も欠席もないのです。
学びたい者は授業に出て自主研究をせよ。学びたくなければ授業に出なくてもよい。そのような態勢でした。
1年間授業に出なくても、単位認定試験があり、受験して60点取れれば単位を認定してくれるのです。必須授業はなし、なんと卒論もなかったです。
友人がある教授に質問をしました。どうして卒論が課されないのか、と。教授の返答は明解でした。「あなたに論文などと言えるレベルのものを書きあげることができるのですか。京都大学法学部は、学生にできないことは要求しません。」
秋田で生活をしていた京大生。
秋田県から来ていた友人は、2年間京都で下宿生活を送り、上記のような大学の様子が分かったとき、郷里の秋田へ帰っていきました。
秋田に帰って自分のしたい勉強をする。卒業だけはしておきたいから、試験のときだけ京都に来る。そのとき、君の下宿に泊めてくれ、それから試験の日時を連絡しろ。
そのようなことを言って本当に秋田に帰りました。大学の3年生、4年生の2年間は秋田に居て、試験だけ受けに京都に来てそれで卒業しました。
ウソのような本当の話です。決して良いこととは言いませんが、それほどに自由であったわけです。おそらく今では考えられないことでしょうが。
人気ブログランキングへ←いつもありがとうございます。励みとなっております。今日も応援クリックお願いします