2009年 12月 08日
受験勉強は後の人生に生きる。
受験勉強を納得できる形でやりきることができれば、必ず後の人生に生きてきます。
これを挫折して、中途半端な形で終わらせてしまうと、後の人生において何かにつけて自信を持てませんから、後悔することになってしまいます。
私は大学卒業後企業に就職して、6年間サラリーマン生活を経験しました。
そのとき、人事の仕事を担当して、社員採用で多くの大学生を面接したことがあります。
このとき、必ず受験勉強の思い出と、それが今現在役に立っているかどうかを応募者に聞くようにしていました。
苦しいときもありましたが、やれるだけのことはしました。そして、その受験勉強が大いに役立っています。
はっきりとこう言える人には優秀な人が多かったのを覚えています。
苦しさを耐え切って成果を出した経験、これはゆるぎのない自信をもたらせてくれます。
更に、受験勉強として、半ば強制的にやらされた学習が、後の様々な学習の基礎となり、より一層成長できる土台を与えてくれていることは確かなようです。
できない子ほど徹底的に勉強をさせましょう。
人間としての成長を促進してあげなければいけないと思うからです。
かつて私が指導した生徒のお母さんの言葉を忘れることはできません。
「こんな何もできない頼りない子ですから、勉強をさせて医者にするしかありません。そうでなければ一人で生きていくことはできそうにないのです。」
子供のことを思い、心を鬼にできる良いお母さんでした。
高校回想録ACT26
通信添削αβの思い出
私の高校生時代、αβという通信添削指導会がありました。
東京大学の院生が中心となって運営していたようで、Z会の超ハイレベル番といった感じでした。
実際、αβの問題を見ると、Z会の問題など馬鹿ばかしいくらいに簡単だ、と感じました。
特に数学は凄かったです。毎回6問の問題が送られてきて、250点満点で評価されました。
平均点はいつも10点前後で(これは本当です)、50点も取れば成績優秀者として掲載されました。
そもそも6問とも問題の意味さへ良く分からない。
これを解明すこと自体が大変でした。
好きもののK、M、U、そして私を加えた4人で、いつもああだこうだ、と検討会をしていました。それでもいつも1問たりとも解けません。
学校の先生に質問をしてみても、先生が解けません。αβか、と言って散々先生には嫌がられました。
趣味的といえば趣味的なもので、受験にここまで必要はないだろう、とはみんなが分かっていました。
それでもαβをやっている、というのが一つの詰まらないプライドで、みんなで飽きることなく続けていました。
あるとき、Kが56点を取ったのです。全国2位でした。
「あかんなあ、俺何をやっても中途半端や。2位やて。1番にはなられへんねんなあ。」
かえってKは暗い顔をしていました。本当に情けなかったようで、
「1番になるまではやめられない。」
そう言って、大学教養課程の数学の本を買ってきて、その他科目の受験勉強を放ったらかしにしてまでも数学を勉強していました。
その結果、京都大学に不合格となり(しかも数学は満点を取った上で)、浪人せざるを得なくなって京都大学入学が1年遅れてしまいました。
先日会ったときに、この話をKにすると、こんな返事が返ってきました。
「あの頃は面白かったよな。京大合格よりも、αβ1位が重要だったんだから、おめでたいといえばおめでたい子供だったんだ。でも、あの時の数学学習が今に生きているよ。」
Kは情報工学を学び、今はIT企業の研究者となっています。一言で言ってしまえば、典型的な数学馬鹿でした。Kよゴメン。
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